なんとも、はや…

父から聞いていた話では㈱榎戸材木店の前身、榎戸商店は大正4年創業とのことであった。
となるると、今年、平成27年は創業100年となる。零細企業であるからハデは式典などはしないにしても、1つの大きな節目であることには違いがない。日本は世界の中で創業100年を超える企業が最も多い国だと聞くが、ついに当社もその仲間入りを果たすこととなる。
それなりの中・大規模な会社であれば、「〇〇材木店 100年史」を書き、関連先企業や団体に配るところであるが、東京の木材業ゃの場合、関東大震災、東京大空襲の2度にわたり一面の焼け野が原になってしまったため、会社や取引に関する資料というものが、ほとんど残っていない。さらに古い木場から新木場に移転するときに、ジャマだとして保存する必要がないと判断されたものの多くは廃棄されたこともあろう。
それでも、このままでは当社の記録、記憶などというものは忘れ去られる一方で、それも寂しい。仮に6代目、7代目と続くとしても、自社がどんなところからスタートして100年間、持ちこたえたのかを知っておくことは無駄ではあるまい。
元々、ものを書くのは私の趣味のようなものであるから、資料を集めつつ、私が感じた㈱榎戸材木店の100年を書き残そうと作業を始めた。

すると、いきなり初代、「榎戸海老蔵」が書いた文献が発見され、大喜びで中を読むと「(務めていた会社から)独立したのが大正5年だから…」との一文が見つかったのである。私の父は自社の歴史に興味があったわけてもなく、自分自身が生まれたのが大正14年であるから、創業は大正4年と思い込んでいたらしい。女性で歳のサバを読む人はいるが、会社で、しかも1歳年上を名乗るのは珍しい、というか恥ずかしい。
さらに、「現在の東京都青梅市から出て来た海老蔵は、横浜のエス・アイザック商会という外国貿易会社に入社し、第一次世界大戦により輸送船が物資輸送のため大西洋航路に回され、アメリカやカナダからの木材輸送が出来なくなったため、リストラされて榎戸商店を開業した」と聞かされていたのだが、それも事実とは異なるようである。なんとも、はや…としか言いようがない。
私が父から聞かされたのはもう20年、30年前の話だから、父自身もそう信じていたのだろう。結局、父は自社の歴史に興味がなかったと言うにつきる。だからこそ、だからこそ、完全に真実でなくても、ある程度、社史として残せるものをと、張り切ると同時に大きな義務感を感じている日々である。